白山市議会 2022-12-15 12月15日-03号
日本は1979年(昭和54年)から子供の視力検査を行っております。先月30日に発表されました文部科学省学校保健統計調査の確定値によると、令和3年度の裸眼視力1.0未満の割合は、幼稚園24.81%、小学校36.87%、中学校60.66%、高等学校70.81%の調査結果でございました。
日本は1979年(昭和54年)から子供の視力検査を行っております。先月30日に発表されました文部科学省学校保健統計調査の確定値によると、令和3年度の裸眼視力1.0未満の割合は、幼稚園24.81%、小学校36.87%、中学校60.66%、高等学校70.81%の調査結果でございました。
千代女あさがおまつりは、旧松任市時代の昭和53年に第1回が行われ、今回で45回を迎えました。今では市の夏の風物詩として、市民に定着いたしております。最盛期には、松任市制施行20周年の年に約2万鉢の出展がありましたが、近年では減少傾向にあり、2,000から3,000鉢の出展数で推移いたしております。 減少の理由の1つとして、苗を作る方が高齢などで少なくなっていることも要因と考えられます。
野々市は昭和40年には人口1万人でした。金沢の郊外に位置していることから、人口増の兆しがありました。そこで都市計画に基づき、現在まで31の区画整理事業が進められてきました。2011年には単独5万人市制施行となり、市になって以来、住みよさランキングは常に最上位に評価され、大変ありがたく思うところであります。 ただ、人口形態は、元からの人口は2割、転入された人口は8割となります。
申請件数はそれほど多くはありませんが、これは昭和56年5月以前に建築されたいわゆる旧耐震基準の住宅の解体や建て替えが進んでいることが要因の1つと考えております。 本市の住宅耐震改修工事に対する財政的支援につきましては、石川県と協力しながら上限150万円の全国的にも手厚い補助制度によって、住宅所有者の負担軽減を図っているところでございます。
〔健康福祉部長(堤喜一君)登壇〕 ◎健康福祉部長(堤喜一君) 昭和58年に開館しました本町児童館の利用者数は、平成4年度の1万7,577人をピークにおおむね減少を続け、令和3年度には、コロナ禍ということもあり4,719人まで減少いたしました。 一方、本町児童館のある菅原小学校区の放課後児童クラブの状況といたしましては、今年度は全児童数の約45%が放課後児童クラブを利用しております。
昭和50年の9月ベースで3,722ヘクタールの面積が、この最新、令和4年の7月で2,850ヘクタールということで、47年間で約872ヘクタールの減少をしております。減少した面積は管轄はちょっとあれなんですが、大体、JA白山が今やっている水稲面積と同じだそうです。
その大きな理由でありますが、合併前の各自治体におきまして、昭和の終わりから平成の初めにかけまして大きく行政需要が伸び、それに応じた職員採用を行っておりますので、結果として白山市は職員の年齢構成がいびつになっております。すなわち職員構成におきまして、団塊の世代というものが存在する形となっています。ちなみに45歳以上の職員が全体の62%を占めており、またその男女比はほぼ半々となっております。
大阪市では、現在、夜間学級を設置している中学校が4校あり、もともと戦後の混乱や経済的な理由などで義務教育を受けられなかった人が学ぶ場として昭和44年6月から設けられていますが、近年では、外国籍の方や今問題となっているヤングケアラーを含む不登校の児童・生徒の増加で、その役割に注目が集まっている現状を視察いたしました。
第2 議案第64号 提案理由の説明、質疑・委員会付託・討論省略、採決 第3 議員の派遣について 第4 各常任委員会及び議会運営委員会の閉会中の継続調査について--------------------------------------- 令和4年6月29日 議員の派遣について(案) 地方自治法(昭和
昭和40年頃には町野は5,000人の人口を有しておりました。私が中学生のときにはふるさと5,000人の祭典も始まり、曽々木地区では観光客が大変多く訪れておりました。 今ではその面影もなく、昨年12月には町野のサンケン工場が閉鎖されるなど、働き場所もなくなるなど活気がなくなってまいりました。町野地区に5つあった小学校は1つに統合され、南志見小学校は閉校いたしました。
ダムからの放流は記録的な大雨等により危険水位を超える場合のみとされており、手取川ダムは昭和55年の完成以降、42年間で11回のみ放水されております。なお、土砂を除去する目的で人工放流することは困難とのことであります。 次に、しゅんせつの工事費は、水力発電事業者や水道水を利用している自治体などが受益者負担の原則から負担すべきものと考えるがいかがかについてであります。
私も、5年前にも話をしたかなというふうに思うんですけれども、昭和62年に旧輪島市議会議員選挙において初当選をしました。振り返ると、平成18年2月に旧門前町と旧輪島市が合併をしましたけれども、当時は、旧輪島市議が20名、旧門前町議が14名、34名、1年間34名で議会構成をして活動してまいりました。
私の住むうちの母屋、隣接しているんですけれども、昭和56年頃に完成した切り妻造りの日本家屋でございます。恥ずかしながら議員という仕事に就くまで、旧耐震基準とか、そこを境にみたいなことを理解して、自分のうちがどうなんだろうということを考えたことがありませんでした。
現状が昭和の終わり頃から平成にかけまして、旧の自治体で市政なり、町政等が非常に伸びた時期に職員を大量に採用した時期がございます。今からで言いますと、七、八年前に大きな固まりがございました。現状は50歳から四十七、八歳ぐらいがその大きな固まりでございます。
初めに、石川県後期高齢者医療広域連合の後期高齢者医療保険料の10年ぶりの改定の理由についてでありますが、団塊の世代と呼ばれる昭和22年から昭和24年生まれの方が、今年から順次、後期高齢者医療被保険者の対象年齢75歳に達することから加入者数が大幅に増加いたします。それに比例して、保険給付費等の費用も増加が見込まれるため、今回の改定となったものであります。
◆6番(馬場弘勝議員) 現在、本市の南部といいますか、南部の東側といいますか、上新庄とか下新庄とか、粟田、矢作にかけては、昭和のほうから平成にかけて本市へ定住された方も区画整理によってですが多いですし、高齢化も進んでおります。
議案第40号まで 一括議題 委員長報告・質疑、討論、採決 第2 議員の派遣について 第3 各常任委員会及び議会運営委員会の閉会中の継続調査について--------------------------------------- 令和4年2月22日 議員の派遣について(案) 地方自治法(昭和
昭和28年に離島振興法が制定されて以来、舳倉島では石川県離島振興計画により、各種社会資本の整備をはじめ、様々な離島振興施策が展開され、産業基盤や島民の生活環境が向上してまいりました。舳倉島は本県漁業の拠点の一つであり、本市総合計画の基本構想においても「活力を生み出すまちづくり」を基本方針として掲げており、舳倉島への産業振興支援は欠かすことができません。
この土屋文明という方なのですけれども、アララギ派の昭和を代表する歌人と言われておりまして、この土屋文明氏が昭和15年、1940年に能登を訪れ千枚田を見たときに、このような歌を歌ったと。「一椀にも足らぬばかりの田を並べ継ぎて来にける国を思ふも」と。
昭和20年、30年の様子を分かる方がいなくなる。ここ10年ぐらいの間に何とかしないといけない大きな問題じゃないかなというふうに思うからです。 2年前に産業建設常任委員会の委員長をさせてもらったときに、横江の虫送りに招かれまして、神社の土俵でちびっこ相撲をする。